17歳で突然、歌手になりたくなったなら【第1回】

microphone

久々の記事執筆。
ずーっと書かねばならぬと思ってきたテーマについに着手します。

わたくし、このブログでは謎のオタク女で新米ママなわけですが、何度も言うけどそもそも歌手です。(前はミュージカル女優もやってました。声優もたまにやります。)
今のところ、歌だけで生計を立てられてます。
こんな霞売るような商売で暮らしていけてることが奇跡みたいだと自分でも思ってます。

ディズニーの吹き替えのお仕事みたいな前に出る仕事もありますけども、いまは教える仕事の方がたくさん。
趣味のアマチュアだけでなく、プロをめざす若者の生徒達を多くみているのですが、17、18歳くらいになってから目指す子もかなりたくさんいます。
そうすると、そもそもどうやって勉強をするのか、どのくらい頑張ればいいのかということ自体のイメージが全くついていない子を多くみかけます。
そしてプロになるということを根底から勘違いしている子も。
毎回レッスンでお説教というかアドバイスをするのですが、まとめて文章にしてみようかなという気になりました。

何回かにわけて、どうやってプロを目指すべきかということをつらつら語ってみようかと思います。

語り手は私ですが、聞き手は唐突に歌手志望になった17歳の高校生という設定。
便宜上のものですが、リアルにそんな子をたくさん知っているのでそうしました。
で、あれね。友達とカラオケ行っても、その中で歌がうまい方ってわけでもない感じ。
恥ずかしくてプロにないたいとかまわりに言えない。
どこから手をつけていいのか、どうやって勉強したらいいのか、何もかもさっぱりわかんない。
そういう設定です。

今回は前置きです。
私の音楽歴を語りつつ、この先の連載を読みたいかどうかを決めてもらうエントリーになります。

木村聡子PR
木村はオタクですが本業はプロの歌手・声優です。(ProfileVocal
主な出演作:ディズニー「魔法にかけられて」ジゼル(主役)・「アナと雪の女王」
「美女と野獣2017」・「名探偵コナン~戦慄の楽譜~」千草らら役歌唱 など。
メインのSNSはFacebookで、twitterに転送してます。
Instagram(親バカ写真)もちょこっとやってます。
Welcome Symphony
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アナ雪クリストフ役・原慎一郎さんとの命の誕生の奇跡を
テーマにしたデュエット曲「life」は必聴です!
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◆言い訳・注意事項◆

読んでいただく前にいくつか先に言い訳などを箇条書きで。

・基本的に私の文章は無駄に長く暑苦しいです。簡潔な文章書けない。
・この連載に関しては超偉そうな口調になりますが、そういう目線じゃないとこの記事成立しないので我慢してちょ。私が書いたアドバイスは、私が全て実行できたものとは限りません。
・甘くドリーミーなことは書きません。どっちかというと厳しい意見が多いですのでご覚悟を。
・私の経験の上で語りますので「それは違うと思う」という反論は受け付けません。議論もしません。100人いたら100通りの考え方のなかのひとつ「私の場合」を語ります。
・遅くからプロを目指し始めた子向けに書きますので、意識不明も同然の幼少時から音楽を勉強している人には意味ないかも。
・歌手(もしくはミュージカル俳優)になりたい人のための記事です。楽器の場合は全然違うと思うからそのつもりで。あとクラシック歌手・演歌・ロックも一部当てはまる部分はあるかもしれないけど一応除外。
・実際に仕事になると、対人スキルだとか容姿だとかが超影響しますが、そういうことは言及しません。歌が全然うまくなくても歌手と名乗って仕事している人もいますが、そういう存在はここでは無視します。とにかく歌のスキルを磨くにはどうするべきかということに焦点を絞ります。
・質問があれば、Twitter、Facebook、メールでどうぞなんなりと。(ブログへの直接書き込みには私も気づくのが遅くなるし、返信しても気づいてもらえないことが多いので基本お答えしません。)建設的な問いだと思ったらお答えします。文章ちゃんと読んでないなと思うような質問やヘンな書き込みはスルーもしくは削除します。

前置きの前置きがなげぇわ。
では、始めましょう。

◆木村の音楽歴◆

さて、まずはわたしの話。
生まれてから今まで、どんな音楽人生を歩んで来たかをご説明いたします。
それと子どものときに音楽を勉強するってどういう気持ちだったかとか。

最初は3歳くらいからのピアノレッスン。
始めた頃の記憶は全くない、自我が芽生え始めたころはもう始めてたんだと思う。
ずっと個人レッスン。だいたい週1回とか月2回とか。小学校6年生になるまで。
わざわざ電車に1時間揺られて千葉の偉いおばあちゃま先生の家まで通ってました。
小学校4~5年生のときは音大附属の音楽教室に通って、ピアノ・合唱・ソルフェージュ・打楽器などを総合的に習ってました。

わたしは実はピアノの練習が大嫌いで、毎日こつこつ稽古するのが本当に苦痛でした。
練習のふりして隠れてマンガを読み、ドアが開くとさっと隠す・・バレる、超おこられる、こんな感じでした。テレビが熱を持って見てたことがバレないように、テレビの上にアイスノン置いて電源つけたりね。(実話)
母も音楽家なので、横について怒られながら練習させられて、大喧嘩の毎日だったね。

この頃は全然音楽そのものに興味がなくって、それは塾の勉強と同じで「やらされるもの」でした。
ピアノから奏でられる音楽のどこが美しいのかおもしろいのかさっぱりわからなかった。
なんの目的も無いのにやらなくてはならない、決められた複雑な指の運動に辟易。
なのに器用な子どもだったので、音楽への情熱なんか皆無だったくせに、テクニックも表現力もまあまああって、小学校高学年の音大附属の教室ではオーディションに受かって選抜されてコンサートで弾くソリストになったりしてました。
皮肉なことに、この苦痛でしかなかった10歳までの詰め込み音楽教育が、今の私を作っている土台です。

さて、それなのに小学校6年生からは中学お受験で音楽はぱったりやめました。(やめされられました。)あんなに音楽英才教育をほどしていたというのに、親の考えることはわからん。
これまたそれなりに器用な子どもだったので、勉強は音楽以上に大嫌いだったのに受験戦争をギリギリ乗り切ってしまい、国立のお茶大附属に入れちゃいました。
中学時代は吹奏楽部に入ってて、そのほかにチェンバロやクラリネットの個人レッスンを受けていた時期もありましたが、どちらもあまり向かず(というか基本的にやる気がなかった)、長く続きませんでした。

要するに中学入学までは親の強制力により音楽も勉強もイヤイヤやっていましたが、自発的なものでもないし好きでもなく情熱もなく、結果全てをめんどくさがる中学生となりました。
すごくもったいない時代ですが、この反動が後に自分の人生を動かしたということを考えると、必要なダラダラ期だったのだということで自分を納得させています。ただの正当化ですけどね。

高校1年のときもダラダラ期はまだ続き、全然音楽も勉強もやってなくって(でも高校のサークルでミュージカルはやってた。)、うっかりバトミントン部に入り、しかしすぐやめて、その際に先生にラケットを売りとばすという伝説を作りました。
勉強も嫌いだから全然やってなかった。赤点スレスレ。

そして高2になる時点ではたと気づきました。
もしかしてだけどぉ、もしかしてだけどぉ、あたしってバカじゃん、行ける大学ないんじゃないのぉ~?
まわりのみんなが東大京大早慶上智をリアルにめざしてまっしぐらな中、こりゃやべぇ、と。

で、突如。
「お母さん、わたしね、歌をやりたいの。オペラ。」
とか口からでまかせ言って普通大学受験を回避。
ピアノの基礎があったので、今からでも声楽科ならどっかの音大に滑り込めるという目論見。
このときは芸能界的な仕事をしたいというのは全く思ってませんでした。ただただ勉強回避。
大学行くのにポップスで行くとかありえなかったし、進学イコール音大イコールクラシック声楽でしたので、全く何をやるのかわからないまま声楽を始めたいと言ってみたという感じです。

わたしの勉強したくないだけの魂胆は母には完全に見破られていたものの、諦めてたんでしょうね、音楽の勉強をさせてくれることになりました。
で、そこからは声楽・ピアノ・ソルフェージュの個人レッスンを全部で月に8回くらいかな。
それを2年間続けてするっと音大に入りました。
うーん、人生ちょろいなと思っちゃうよね。この感じだと。
でも2年で入れたのは、3歳~小学校までのピアノがあったからこそ。
それがなかったらもっと超苦労してたと思う。
音楽の基礎がしっかりあったので、なんかそんなに苦労せずに大学にはギリギリ入れちゃったのです。歌はドへたくそだったけどね。

大学4年間は毎週歌の個人レッスンがあり、そのほかに副科でピアノが2年間毎週、合唱・オペラクラス・ディクション(歌における言葉の発音)・ソルフェージュ等々。そんなにやる気がなくても、卒業するためには必然的に音楽漬けの毎日です。

ががが。
大学2年にして、やばい、クラシックあんま向いてないっていうか、イタリア語とかフランス語とかドイツ語とかつらい、と悟る。ほんとお母さんごめんなさい。親不孝すぎ。
で、大学3年のときに声優養成所(週1回のとこ)に戯れで通ってみたら、なんかそこのつながりで1年後には今の事務所にひょっこり所属できちゃって、うっひょこれで声優になれる!と思ったら、大学4年のときにわけもわからず受けさせられたレミゼのオーディションにひょっこり通って卒業と同時に舞台デビュー。

みたいな流れでした。
我ながらなんてテキトーなんだ。
なんのビジョンもなく流れ着いたところがレミゼって。笑

ここまで本当に順調。
努力ほとんどなしでいきなり帝国劇場。
こうなるとさ、勘違いするよね。
このまま舞台の仕事がトトトトンとつながって、そのまま売れっ子ミュージカル女優かぁ、ハハっ、みたいな。

んなわけねーっつーの。

で、その後数年は当たり前に仕事がありませんでした。
そりゃそうだ、踊りも芝居もまったくできない。
歌だって声がでかいだけで、表現力もテクニックもいたって普通。
そんなただのチビが舞台で使えるわきゃないって話です。
冷静に考えれば当たり前なのに、なんでそれがわかんなかったのかしら。若いって怖い。
まずいことに、このころには後戻りできないくらい歌うことは好きで、それで食べれるようになりたいって思うようになっちゃってたんだよね。

で、その後は仕事がずーーーーーっと無くて、自分は何者なのかどんどんわからなくなって、マジ死にたいという時期が長く続き、なぜわたしはあのときちゃんと勉強せずに音大受験などという安易な道を選んだのだ、と激しく自分を責めた日々。高校の同級生はテレビ局に就職したり医者になったり大学の研究員やってたり。それに比べてアタシって・・・。
生きていくために、生来のオタク気質を生かして家電量販店で働いたらそれなりに稼げちゃって、なんかわたしって完全に電気屋の店員になってる・・・。てゆうか電気屋そこそこ楽しいし、ああこのまま行く運命なのかも。
自分を責めるのにも飽きて、何も考えたくないわぁ、もうダメだ、引退しかない、てゆうか引退なんて言葉使うほど仕事してないよな、ああもう婚活しようかとか思い詰め始めました。

そんなとき。
これまたひょっこり「魔法にかけられて」の主役オーディションに受かって、なんとか首の皮一枚で引退をまぬがれて今に至るって感じ。
なんだこの最後の急展開。笑
でも本当にこんな感じだったんだよね。青天の霹靂すぎて家族も友達もみーんなびっくらしてたわ。なにより自分がびっくりしたよ。合格の連絡もらったときは過呼吸になるかと思った。というかバイト先で泣きながらPCで入力してたわ。(このときは事務職のバイトもしてた。)

そこからはとにかくこの経歴ひとつをたよりに、絶対になにがなんでも音楽でお金を稼いで生きて行くんだという気合いを強く持つようになって(そう、それまでそういう気合い全然なかった)、がむしゃらに働きました。
で、あれよあれよというまに生徒さんもたくさん増えて、依頼で演奏もできるようになり、生活には困らないレベルで稼げるようになりました。

・・・というのが私の音楽歴。
すっごく頑張ったという記憶も実はあんまりないかわりに、よく考えると3歳から今までで音楽を完全にやめてたのって小学校の高学年の1~2年間だけなんだよね。

さて、17歳で歌手になりたいと思ったあなたは、いったい今までどんな音楽歴がありますか?
どれだけ時間やお金をかけてきましたか?
今からで間に合うと本気で思いますか?
この話は避けて通れませんよ。いきなりヘビーだね。

本当はこの1回目の記事であと2項目書きたかったのだけど、自分語りが長すぎたのでそれは次回にします。
もう書いてあるので近々アップする予定。
あ、続き読みたいという反響が少なかったらこの連載自体なかったことにしますので、もし読みたいなぁと持っていただけたら記事の最後のFacebookいいねボタンやSNSでのシェアなどのアクションをもらえると嬉しいです。

そいじゃまた!

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コメント

  1. […] はすぐ続きを書きます。 でも必ず前回の記事から読んでよ。→ 【第1回】はこちら […]

  2. […] 連載4回目です。 今までの記事はこちら。 順番に読んでくださいな。↓ 【第1回】 【第2回】 【第3回】 […]

  3. レントン より:

    聴いてくれる人がいて初めて成り立ってる仕事だってこと

    全てを語ってるよここに公開されてることがね